『血の轍』『惡の華』なんかで有名な押見修造。
自分の黒歴史のかたまりの様な『悪の華』を初めて読んだ時、何か途方も無く恥ずかしくなって読めなかった。
このままじゃいけないと思って 何処かに飛び出そうとするけれど、まだ子供だから何処にも行けない。
やっと抜け出したと思ったら、実は少しも変わっていない、みたいな。
そんな、思春期のモヤモヤした苛立ちを鋭く描くのが
押見修造
(https://www.amazon.co.jp/惡の華-1-少年マガジンKC-押見-修造/dp/4063842770)
ー「あ、なんか分かるわ」
一見すると意味不明だが、頭に染み込んでくると「あ、なんか分かるわ」となる不思議な作家。
僕は「漂流ネットカフェ」というネカフェが異次元に吹っ飛ぶという作品で知った。
設定だけ見るとカオスだが、実は主人公の初恋の相手も一緒に飛ばされていて
向こうの世界で初恋の人と一緒に生きるか or 妻がいる現実世界に戻るか、という選択を迫られる。
結局、妻がいる現実に戻ってくるのだけど初恋の相手への想いを乗り越えていく、といういうのがなんか分かるなぁと。
やっぱり初恋の人というのは特別だし記憶に残るけど、いつまでも昔に縋っていては駄目なんだと気付かされた。
ー思春期の衝動の " なんか分かる感"
押見修造は、思春期の衝動(良くも悪くも)の面でその "なんか分かる感" を存分に発揮している。9/27公開の映画にもなった「惡の華」は、
クラスのマドンナである「佐伯奈々子」の体操着を、彼女に思いを寄せる「春日高男」が盗んでしまい、
その場面を嫌われ者で教師に「クソムシ」と言ってのける「仲村佐和」に見られ、以後、春日と仲村は一緒に行動していく。
というストーリーで、特に物語の舞台(モデルは群馬県 桐生市)である町から逃げ出すというのが大事なテーマになっていて、
何も無いつまらない町の中で自分を見失って生きていくのが嫌で必死に外へ出ていこうとする。
一見、完璧に見える佐伯奈々子も誰一人として本当の自分を見てくれないと悩んでいて、唯一自分を見てくれた春日に好意を抱く。
しかし、春日は自分の姿が分からずに仲村と二人で様々な事をしでかす。
クラスにいる奴は、みんな化けの皮を被っていて良いツラをしているが本当は違うだろと春日を煽る仲村。
閉じこもった町の中で、どうにかして自分を作ろうとする。
中学編は、春日と仲村が派手に死んで全てを終わらせようとして失敗する所で終わり、
高校編では新しく「常磐文」という外見が仲村に似ている女子と出会い、春日と二人で仲村に会いに行って終わる。
ひたすらに、自分とは?と模索して彷徨ってる。そういう物語で、こういうブラックな経験をした事がないと分からない作品。
作中のこぼれ話にも書いてあったが押見修造は学生の頃、手鏡を持って下から女子トイレを覗くために半日ほど待ったらしいが、
誰も来ることはなく外には虚しい夕焼けが広がっていた、と書いており凄い青春を過ごされていた。
また「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という作品は、自身が言葉を上手く言えない病気だった事から書いたそうで、やっぱり彼自身の経験が大きいそう。
そんな押見修造だが『惡の華』は思春期のブラックさをエグってくるので、
ぜひ一度は彼の「思春期」を覗いてみてはいかがでしょうか。
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